奉納即至誠


元々、オリンピックは、
人間の肉体的鍛錬の成果を神々へ「奉納」するところにあったという。

日本でも、学校で行う「文化祭、体育祭、音楽発表会」なども、
少し前までは、よちよち歩きだった子供たちの日頃の努力の成果を「奉納」するところからはじまっている。

「学術発表会」もそうであった。
「一生懸命、研究・勉強したらこんなことが分かりました。お聞きください」
という奉納であった。


何事にも他との競争という一面もあるが、
同時に「奉納」という一面をもつことが、個々に必要なのかもしれない。

遊び・仕事のなかで切磋琢磨する中で、
この「奉納」の一面を取り戻すことで、「至誠」を自然に取り戻すのだ、と想々・・・
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by fuwahiroshi | 2015-07-09 22:59 | 想々  

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