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「生」つまり、「命」について、想々・・・
昨今、「命」が一番大事というようなことになっている・・・。 しかし、生命を最高の価値にしてしまうと、実は恐ろしいことになる・・・。 つまり状況に依れば、自分が生きる為に、 ○○さんを裏切る、○○さんを騙くらかす、あるいは救える人を見過ごしにするとか・・・ 「生きること」を第一の価値にしてしまうと、なんでも許されることになってしまう・・・。 命が一番大事ってことを否定する為にも、いざとなったら自分で死なねばならない場面って言うのがあるだろうと・・・ こういうことをきちんとやったのが、日本の武士道であり、西欧の騎士道、その他各民族の生死感・・・。 つまり、この感覚は、「普遍的なもの」・・・。 人間がいくら生きたって必ず死ぬ訳で、それを単に病死にまかせるのか、 あるいはそうではなくて、「死ぬべきときには死んでみせる」と言う気持ちをずっと持ちながらえるか、ということを問うこと。 その感覚を持って、一人が志を立てるとき、一國に影響する・・・ そう考えると「己の生(命)そのもの」ではなく、「生を得たこと」に最高の価値がある・・・
by fuwahiroshi
| 2012-05-03 20:58
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