カテゴリ:想々( 92 )

 

お盆、お彼岸について

この頃になりますと、お盆休みはいつからになりますか?などという会話が飛び交います。

以下、お盆(お彼岸)について、私の知るところを述べます。

●一体、お盆とはいつなのでしょうか?

それは、旧暦の7月の満月の日です。
今年、平成28年は、太陽暦で言いますと8月18日です。


●お盆祀りとは一体なんなのでしょうか?

立秋の日のあと、お米の収穫の実りに向かって行く満月にお祈りして、亡くなった人が幸せな死後の世界でありますようにと願うのがお盆祀りです。
夏のお彼岸(お盆)は、「お月さまのお祀り」でした。


日本にはもう一つお彼岸がありまして、春分の日、秋分の日です。
太陽が真東から昇り真西に沈む日ですね。
春と秋のお彼岸は、「お日さまのお祀り」でした。
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by fuwahiroshi | 2016-08-18 19:19 | 想々  

節司(せっし)という職

僕は、
「建築家」をという肩書きをやめ、「節司(せっし)」とすることにしました。



建築という言葉は、実はまだ新しい言葉・・・
お叱りを恐れずにあえて言いますが、西洋文化に迎合し、architectを「建築家」としたのは我が国の歴史・価値観・自尊心を捨てたという意味においてある種の罪だったのかもしれないと考えている。

本来constructionの意である「建築」という言葉が、先に立ち過ぎた結果、本来「庭に住む」だったはずのものが、いつのまにか「家に住む」となってしまい、身のまわりから庭や植物が消えていったのではないかと思う。

僕らは言葉から逃れられないから、言葉は大切なのである。

これからの時代、もはや「建築家」という言葉を変えたらどうだろうか、と思う。
僕は日本では、「建築家」という言葉は過去のものとして葬り、これからは「節司(せっし)」と呼ぶのが相応しいと考える。

「節司(せっし)」とは「季節を司る職」のことを指す言葉として、体の中にすーっと舞い降りてきた言葉であり、その後、体の底からイメージと力が湧き上がる泉となった言葉です。

施主のみならず、仲間のアーティストや作家さんや職人や庭師などと「節司(せっし)」についての話をしてみると、大変盛り上がる。

言葉一つで大変盛り上がるのである。

辞書にも載ってない言葉であるが、日本では家屋に携わる人々は本来「節司(せっし)」だったのではないかと想う・・・。





ここで同じ「司」が付く職業を眺めてみましょう。

・宮司(ぐうじ)は祭祀を司る職。お宮に司り、お宮さんのために、姿を消す職業。
・行司(ぎょうじ)は相撲の勝敗を司る職で、俺が俺がとは言わない職業。
・司会(しかい)は会の進行を司る職。でしゃばり過ぎると煙たがられる職業。

実は「司」が付く職業とは、「なにかのために姿を消す」職業でありました。
建築家がこの意識に欠けてきたため、街には俺が俺がとでしゃばる建物が溢れ、庭も植物もどこかへ追いやられてしまい、季節を感じない街となってしまいました。。。




我が国は、お月様の恵みで「二十四節気」というように四季が豊かであります。
昨年から日本全国で季節がはっきりとしはじめております。

屋敷には「庭屋一如」と申しまして、「庭と家屋としつらえ」が一体となる、本来そういう理想があります。

家屋は、その理想の一端を担います。
しかし建築家が「屋敷」という概念を忘れた結果、街並みから「庭」が消え、「しつらえ」は息絶え絶えで、歩いても季節を感じない街を作ってきてしまいました。

理想の街並みの形成には「屋敷」を設計する職、つまり「造家と作庭としつらえ」を総合する職が必要だったのです。その職のことを勝手に「節司(せっし)」と名付けることとしました。


「季節を司る者には、季節に己を捧げ、己の姿を消す、そのような厳しさ」も求められます。
宮司しかり、行司しかり、
己を捧げ、己を消します、そして厳しさがあります・・・・。

節司も厳しく己を消す事で、屋敷の主人に表現者として生きる「間」を与える事に専念できます。

「造家と作庭としつらえ」を含んだ職としての「節司(せっし)」・・・。
昨年から季節がはっきりとしてきた我が国に、今後「必要な職」と想々・・・


遠くない将来、建築学だけでなく「節司学」という学問を学ぶ学生達が世に出てくる事が、僕にとって我が国の希望の一つであります。


「節司学」には、様々なアーティストや作家さん・庭師・職人・山師・材料屋・道具屋・・・などの先生方が入りこんでくることになります。
楽しそうな学科ですね。ぜひ通ってみたいものです。



日本語の一音一音のもつ響きで解いても
●せ:生命の営み
●つ:星 細胞 起点
●し:凝縮
ですので
「せ・つ・し」とは「生命の営みの中で、星、細胞、その起点を凝縮すること」となるのでしょう。


「司」がつく「職」に付く方々にあらためて感服いたします。
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by fuwahiroshi | 2016-03-25 01:57 | 想々  

「本来」という言葉・・・

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結局は、どんな理屈よりも感覚である・・・。
カッコイイ!とか、なんか好きとか、元気になっちゃうとか、ん〜氣持ちいいとか、なんか落ち着くとか、なんか嫌だとか、あたたかいとか、やわらかいとか、いい質感とか、いい匂いとか、いい色彩とムラだとか、いい音だとか、いい光だとか、いい陽だとか、いい風だとか・・・。
つまり、ものの善し悪しなどの「決断を下す」のは体感覚である。


一方、「判断の基準」は頭脳でつくっていたりもする。見えてこなかったり、気づかなかったりするけれど、「決断の土台」となっているのではないかと、と考えている。
ですので、今回は「言葉」について、すこし想々・・・。


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  「本来・・・」

   好きな言葉だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

本当とか、本物とか、真実とかいう言葉よりも「根元的で絶対的で」でルーツを感じる。
そもそも、ルーツがわからなきゃ、ルーツを感覚しなきゃ、本当は何?とか、本物は何?とか、真実は何?とか、言えないんだと思う。


言葉とは無縁でいられない中、
言葉が本来持つ意味を知るのに、どういたしましょうか?


小生は
日本語の一音一音の響きが本来もつ意味から言葉を解釈することで
「その言葉のもつ本来の意味は何なのか?ルーツは何なのか?なぜ、我々の遠い御先祖様はなぜそういう発音で、そういう言葉で呼ぶようになったのか?そしてなぜ使い続け現代まで残ったのか?我々が今使っている言葉は、遠い将来まで残っているのであろうか?」を自分なりにはっきりさせはじめることになっていた。

ものづくりにおいて、概念から形式を組立てるということは、言葉の「本来」の意味を捉えないと成就しないのだから、ごく自然なことであった。


 とにかく、ルーツが分かれば、ぶれない。
 自分の根っこからカッコイイとか、落ち着くなあと感じているのであれば、ぶれない。
 あとはそこに対してみんなあきらめないだけ。
 根無しで、形式ばかり追ってしまったら、頭の中は、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
 ぶれぶれである・・・。。


日本語の一音一音のもつ響きから言葉を解釈するとは具体的にどういうことかというと、
例えば、設計を「せ・つ・け・い」と分けて、
それぞれ日本語の一音一音の響きがもつ「本来」の意味を整理してみる。

●せ:生命の営み 勾玉の音
●つ:星 細胞 起点
●け:食べる 生きもの 育成力
●い:集める 集まる

とすると、設計とは本来なにかが分かってくる・・・。
つまり、設計という言葉の本来の意味は「生命の営みの起点となるように必要な育成力を集め、そして育成力や人などが自然と集まるようにすることである」となる。



同様に
「家屋」
●か:隠された世界
●お:全て 全力 無から有へ 一つに引き締める
●く:組立てる 組織 不思議 虚空体

とすると、家屋とは本来なにかがわかってくる。
家屋という言葉の本来の意味は「隠された世界を全て、無から有へ一つに引き締め組立てたもの、そういう不思議なもの」ということになる。




「部屋」
●へ:閉じる 一面が凡ゆる所へ
●や:強い力 止まる力

部屋とは、本来、「肉体を閉じ込めるが、同時に精神を無限に解放するという強い力、そういう芸当が宿る空間のこと」といえるでしょう。



「和室」
●わ:心波 結ぶ心 間を取る
●し:凝縮
●つ:星 細胞 起点

和室とは、本来、「人と人、人ともの、ものとものを結ぶ心が凝縮する起点となる空間のこと」となるのでしょう




「庭」
●に:心 心波 意志
●わ:心波 結ぶ心 間を取る

庭とは、本来、「心を結ぶ心。つまり、際限のない空間のこと」でしょう。




「門」
●も:未来への希望 思いが波打つ 魂が憑る
●ん:凡ゆる世界や立場が渾然とする 一体化

門は、本来「人の呼吸と同じように想いや希望や活力の出入り口であり、人生模様を表す空間のこと」でしょう。




「屋敷」
●や:強い神力 止まる力
●し:凝縮
●き:氣 天結ぶ力

屋敷とは、本来「門・庭・家屋というそれぞれの強い力が凝縮し、天に結ぶ力となって、住む人の運命を切り開く空間のこと」となる



「土地」
●と:力の充実 ポイント 内容によって変化する鏡
●ち:天の氣 玉憑 生命力

土地とは、本来「力が充実する場所であり、内容によって変化する鏡のことであり、生命力であるので、人の運命に大きく関わる場所のこと」であるので、土地の使い方や土地に対する礼儀が大切となる。
地鎮祭は土地に対する最初の礼儀である。




  言葉とは無縁でいられない

  「本来は何なのか?」

   知って、人とものを見つめたいと思います。

   そして、最後の決断は、体感覚がする・・・。


以下の過去ブログでも音の響きから捉えています。参考までに2例とりあげます。
http://fuwahirosi.exblog.jp/16036545/
http://fuwahirosi.exblog.jp/22507597/
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by fuwahiroshi | 2016-03-17 23:33 | 想々  

どこまでも走らせてくれる「素材」と「仕上げ」探し

大切なこと

それは、施主と一緒に組立てていった「概念(コンセプト)」をどこまでも走らせてくれる「素材」そして「仕上げ」と出逢うことです。

納得する素材や仕上げに出逢うために 奔走する時間のほうが 机に向かって図面を描いている時間よりも長くて良いのだと思います。

施主は もの をのぞみます。 図面をのぞんでいる訳ではないのです。
我々は もの をつくるひと。

当たり前のこと。 
でも 今 忘れかけられている 大切な事と想々・・・。


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by fuwahiroshi | 2016-02-27 12:25 | 想々  

師範のお話に想ふ

今日は美剣体道の稽古。
そこでお聞かせ戴いた師範のお話。


スポーツは、相手に勝つと「おめでとう」と言われる世界。

一方、
武道とは、相手に勝っても「おめでとう」と言われない世界。
なぜなら、武道で勝つ=相手の死を意味するからである。
そういう意味で、武道の稽古は「後ろめたさ」を常に感じながらのものであるという・・・・

武道は「おめでとう」の代わりに「家族や国を守ってくれて有難う」とは言われる世界ではあると・・・。
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by fuwahiroshi | 2016-02-15 22:34 | 想々  

「管見(其の三):“新生”国立競技場について(工事過程編)」

 






         管見(其の三):工事過程編 “見せて魅せる”
                    




    
           
        不破博志一級建築士事務所 東京都知事登録 第54998号
             一級建築士 不破博志 大臣登録 第331569号







         『“新生”国立競技場:見せて魅せる工事過程』


「見せて魅せる」とは『シンプルなものは造る過程も美しいということ』であります。

東京タワー、スカイツリーなどは必然的にそのような「見せて魅せる」という工事過程を通りましたが、今回あえて「見せて魅せる」を提言するのは、お迎えする立場の我が国民が一丸となりやすいだけでなく、海外から見ても、我が国民が一丸となっていることを感じていただけると考えるからです。


まずは、観客席および屋根をイメージして申し上げますと、我が国の「見せて魅せる」は構造美からのアプローチとなる為、自ずと目が洗われるデザインとなり、伝統木構造にみられる「構造即意匠という我が国の建築美」の新たな1ページを開いていく気概が産まれるはずであります。

次に「レガシー(遺産)となる部分」の「見せて魅せる」についてもご提案させていただきます。
アスリートのアプローチと聖火台は、管見(其の二)でも記した通り、この競技場デザインの「背骨」であり、「遺産」として、永代に渡って遺す(のこす)部分であります。
そのため、保存修復が可能な事が証明されている我が国の伝統構法を基本に据えております。

①アスリートのアプローチは、石積み・石垣が良いと考えております。
神宮の森が競技場に吸込まれる部分でもありますので、神宮の森と相性の良い伝統工法として、石積み・石垣を提案します。
石積み工事中、職人には法被(はっぴ)を着ていただき、石を積んでいる様子や進捗具合をメディアや現場で披露することができますと、現場が活気づくと考えます。


②聖火台を支える部分は、伝統木構造が良いと考えます。
伝統木構造の聖火台は、おそらく史上最高の部類に入る高さとなりますので
「先人の智慧と現代の技術力の詰まった日本の伝統木構造」となり、日本人にとっても新しい挑戦となると考えます。
上棟の様子を映像配信も含め可視化します。最先端の伝統木構造に支えられて「燃えあがる聖火」をみる日が待ち遠しくなる方が増えることが期待できると存じます。




● 結び

再コンペの「業務要求水準書」を見ますと、国交省の技術提案入札ですので、今回の提案書作成の主題は、デザインよりも、工期・予算であります。時間的制限も加味しますと、現実的には、点数獲得の為の提案書作成に習熟し、常に高得点を出して多くの案件を受注している大手ゼネコンが絶対の中心軸です。ですので、もしも有名建築家と協働の場合「そのビッグネームとなるべくお金のかからない表層のデザインだけ」を求めることになってしまうのかも知れませんが、我が国らしさのある賢明な案がでることを切に願います。

そもそも「胸を張る」展開ではありませんが、少なくとも我が国民が「気を張る」展開、そして自然と国民世論からの後押しがうまれる展開を産む事業となることを切に願います。




最後までご高覧いただきましたこと、御礼申し上げます。
稚拙で不躾な文章はお許しくださいますと幸いです。
有難う御座いました。
                                 
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by fuwahiroshi | 2015-09-02 21:04 | 想々  

奉納即至誠


元々、オリンピックは、
人間の肉体的鍛錬の成果を神々へ「奉納」するところにあったという。

日本でも、学校で行う「文化祭、体育祭、音楽発表会」なども、
少し前までは、よちよち歩きだった子供たちの日頃の努力の成果を「奉納」するところからはじまっている。

「学術発表会」もそうであった。
「一生懸命、研究・勉強したらこんなことが分かりました。お聞きください」
という奉納であった。


何事にも他との競争という一面もあるが、
同時に「奉納」という一面をもつことが、個々に必要なのかもしれない。

遊び・仕事のなかで切磋琢磨する中で、
この「奉納」の一面を取り戻すことで、「至誠」を自然に取り戻すのだ、と想々・・・
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by fuwahiroshi | 2015-07-09 22:59 | 想々  

恐ろしい世界


現在、手掛けている住宅の上棟式の際、
施主の父で、昭和12年生まれのお方にお会いした。
御年78歳である。

興味本位で、今の日本の現状についての感想をお尋ねすると

一言、「恐ろしい・・・」

といいますと・・・
と質問を続けると、

「昔は、手を使って一生懸命、これをこう作ったら人がどう喜んでくれるかなあ、
なんて考えながらやっていたが、今はほとんど、機械でつくってしまうんだろ・・・、恐ろしいよ」

はっとした。

小生達も、手を使って一生懸命、喜んでもらえるか、楽しんでもらえるかを考えながら、
つくっているが、そうでない人のことを
              「恐ろしい」
                とまでは思ったことはなかった・・・。

人はだいたい80年くらいで生まれ変わるとお聞きしますが
生まれ変わってやってきた世界が、「恐ろしい世界」にならぬよう、
仕事をしたいと想々・・・。
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by fuwahiroshi | 2015-07-09 22:43 | 想々  

想々:余裕を持って、家を建てるということ・・・。



   庭は小さくてもよい。
   庭から考えることで、
   街に「四季を巡らせること」ができる。

   小物を選ぶということは「感性」を使うこと、
   しつらえに及ぶことで、「遊び」が産まれる。


家屋の設計を進めるとき、
まず、庭から考える。
次に、小物。
そして、しつらえにまで及びたい。
最後にこれらにふさわしい建築を考える。

  ここからまた庭に戻る・・・・。
  そして、小物、しつらえ・・・、そして建築。

家屋計画の際、
この道のりを何周もすることで、
家屋は「遊び」を内包する・・・。

  これも家屋建立の際、
  大切な心得、と想々・・・・。



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by fuwahiroshi | 2015-05-12 21:31 | 想々  

刀匠の姿勢の一端

前述の刀匠と電話で話していたときのこと・・・。

「今、どこですか?」
「東京ですか?」
と尋ねられ、そうですと答えると

「ちょうどそちらに向いて話しております」
とおっしゃられた。

思わず、こちらも、姿勢を正してしまった・・・。

あ〜、こういう方だから
まっすぐなものづくりをするのだなと、納得しました。

400km離れたところで、刀匠がこちらを向いて、電話で話しかけられていると思うと、
不思議な感覚に包まれた。


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by fuwahiroshi | 2015-02-14 22:57 | 想々