カテゴリ:想々( 92 )

 

想々:刀匠との一問一答

大変お世話になっている刀匠との一問一答。

小生「刀匠は、研ぎすまされた鋭い物をこしらえているので、常に鋭い感覚で居られるのですか?」

刀匠「わかるかなあ。どちらかというと逆だなあ。無駄に反応しないと言うか、無駄を削ぎ落とすというか、まあ、そういうこと」


どちらかというと、ぼーっとすることだよ、のような返答に、正直、驚いた。


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by fuwahiroshi | 2015-02-04 23:57 | 想々  

想々:刀匠の一言

大変御世話になっている「刀匠」からのアドバイス。

「価値がさがるもんでなくて、価値があがるもんをつくればいい」

価値には

形而上的価値=お金で計算できる価値
形而下的価値=お金で計算できない価値

があるが・・・、と思いましたが、

価値と言ったら、価値だよ、と言われそうで、
それ以上聞けませんでした。



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by fuwahiroshi | 2015-02-04 23:44 | 想々  

想々:無用の者か、それとも・・・。


クラシックカーの世界では、
エンジンや足回りを、技術の高いエンジニア、
ボディー・内装をオートクチュール。
時代を超えて価値を上げている。
時代を越えて大切にされている。


同じように、
家屋の世界でも
フレームは、世界最先端である伝統技術を駆使する日本の大工、
デザイン・内装をオートクチュール。
時代を超えて価値が上がることは明白。
時代を超えて大切にされるであろう。


現代の車で、10年以上大切にされる車は、どれだけあるだろうか・・・。
家屋についても同様で、
国土交通省が出しているデータでは、木造住宅の平均寿命は、30年程度・・・。。


さて、ここからが本論。

伝統構法の建物で100年以上もっている建物をみると
それらは、木の選定、木の組み方、屋根の勾配、軒の出、通風換気、・・・、
天災・四季など、多岐に渡る配慮に溢れるを無数の先人の智慧がつまった建物の構法・構成となっている。
日本が長年かけて、最適化されてきたものを捨てる手はない。
なによりも、伝統文化の中には、国民が幸せになる生活の智慧・先人の心根、がいっぱい詰まっている。

残るから大切にされるのではなく、
大切にされるから、残る・・・。

未来に、「クラシックハウス」としてを大切にしてくれる人達へ・・・。

人々に大切にされて、残ること。
未来、この結果がでれば、建築家の新たな形而上的価値が論じられることになるのかも知れない。

小生、ただの言論人か、無用の者か、それとも・・・。


国土が産む素材、そして肚を据えた職人とともに、
今年も、氣を引き締め、伝統木構法の家屋に取りかかります。


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by fuwahiroshi | 2015-02-04 23:14 | 想々  

想々・・・:伝統木構造という仕事とは

決して懐古主義ではない。
むしろ逆である。

果たして
現在まで、累積、何億人の大工が産まれ「技」を競って、死んでいったことであろうか・・・・

現在、我々が「伝統木構造」と呼ぶ代物は、
大工達が、過去の数々の地震、台風などの「天災」と「気候」を経て残った建物に学び、参考にし、改良し続けてきた結果である。

この瞬間、木造建築に携わるということは、
その何億人もの大工達を背中に背負って、現代を切り開く「最先端に立つ」ことと同義であるはず・・・

ましてや、彼らが眠る国土、大地の上に建てるのである。


今、この視点、この立場を感覚することが大切、と想々・・・


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by fuwahiroshi | 2015-01-23 22:50 | 想々  

落成祭の本義について・・・


家屋建立に際しての、祭祀事である「地鎮祭・上棟祭・立柱祭」については、
当ブログでも、書かせていただきました。

想々:地鎮祭について
http://fuwahirosi.exblog.jp/11709792/
想々:祭祀・・・
http://fuwahirosi.exblog.jp/12979880/
土の話
http://fuwahirosi.exblog.jp/13404673/
想々:ダイコク柱=大極柱
http://fuwahirosi.exblog.jp/19727564/
想々:や・す・く・に・・・
http://fuwahirosi.exblog.jp/18130821/
想々:靖国神社について
http://fuwahirosi.exblog.jp/19243661/


今回は、家屋が完成したときに執り行ないます「落成祭」についてです。

「家が完成して、おめでとう!」ということで良いのだと思いますが、
この祭祀の本義を知った上でのほうが、おめでたさが増しますので、ここに記します。


家屋建立の際、
様々な材料が使われている中には、何処で採れたか分からぬものが沢山あります。
中には、死穢に染まった材料もありましょう。
中には、伐られてくなかった木材もありましょう。
その他その他、様々な想念を含んだ資材が組立てられ組上げられて、家屋新築でございます。

一切の資材を生き更へらせること、これが落成祭の本義でございます。
一軒の家屋という「生きもの」にして一切の資材を甦らせて参ります。
そのとき、一つ一つの材料が自分勝手な存在を主張していたら、家になりません。

あれもこれも彼も私もという様に組立てられた家屋を一瞬 
「祭祀という虚空」に置く、
そして同時に新生させる。

家屋新生に当たってどれ程の者達がその身を其処に呈供している事か、
お屋根のてっぺんから縁の下に至るまで全部 
吾が身を捨ててお役に立ってくださっているのです。

家屋新生とともに、『家族新生』なのであります。

銭金があるからというだけで、良い家屋が造られるものではありません。
こういった祭祀を通して、心を合わせ、お許しが得られてこそであります。


以上、落成祭の本義について、誠に簡単ではありますが、小生が知る所を記させていただきました。
このような事を知ることができましたことを心より感謝しております。



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by fuwahiroshi | 2014-11-08 18:50 | 想々  

再考察:「や・つ・し」

建築とは、前向きな行為ですので、ついつい精神論じみてしまいますが、ご勘弁を。

以前、当ブログでも触れましたが、
あらためて
日本語の「や・つ・し」「や・つ・す」に触れます。

◎想々:「や・つ・し」
http://fuwahirosi.exblog.jp/14882103/


これに、少し加えたり引いたりして、考察しなおしたい。



「やつし」という日本語は、なかなか耳慣れないかもしれない。
「やつす」ともいう。

尊敬する友達が教えてくれた言葉だ。


辞書を引くと、色々出てくるが、

「やつし」とは、
  「豊かで美しいものや氣高い精神が、あえて簡素に貧しく姿をかえること」
  「高貴なものが、あえて質素な形をとること」
のようだ・・・

例えば、
○演劇技法・・・「水戸黄門」「遠山の金さん」など、
        いわば高貴なものが、あえて世俗の世界に身を置く。
        このことを「身をやつす」と言い,
        このギャップが痛快なドラマとなっている・・・

○枯山水・・・大宇宙を数個の石や砂を用いて庭に縮図化した「やつし」の姿。

○生け花・・・僅かな花を僅かな空間に存在させた「やつし」の姿

○盆栽・・・風格ある樹を縮小化した「やつし」の姿

○侘び茶・・・あえて草庵の貧しい風情、これを厳しい目で創り上げた「やつし」の姿

などなど・・・

つまり
「やつし」は、「日本人の美意識」である・・・


さて、
では、なぜ、日本人の美意識を「や・つ・し」と発音するのか?
   なぜ、「や・つ・し」という「音」が「敢えて簡素に質素に見せること、縮図化すること」を指すのか?
   
  
実は、
やまとことば、
つまり50音それぞれの響きがもともと持つ意味に照らし合わせて解くとみえてくる。


まず一音ずつ、その音の響きのもつ意味を解いていく。

●や・・・強い神力 止まる力
●つ・・・星 細胞 起点 
●し・・・凝縮

●や・・・強い神力 止まる力
●つ・・・星 細胞 起点 
●す・・・絶対神力 中を真空にする

ということになります。


まとめると
「やつし」という音の響きの中には

  「目に見えない強い力を、細胞一つ一つにまで、そしてその起点に近づけるところまで 凝縮すること、絶対的なものにすること、真空にする事ですべてを惹き付ける」

という響きが入っていることがわかる。

その「凝縮」する「術」「仕事」には「厳しさ」があり、その厳しさの中に美しさを見出すということも容易に想像できる。


さて、次に、
なぜ、「や・つ・し」が日本人の美意識の中枢にあるのか?
それには、「真空」の解釈に以下を付け加えて考えたい。

●科学者が実験等をする
 ----真空管作成
  ------真空ポンプ作動
    -----真空度が次第に変化する
     ------変わる「真空度」によって創り出される物(世界)が様々に変わる・・・



インド人はゼロを発明したと言うのであれば、日本人は「真空」を発明したと言いたい。
発明したというより、元来、日本人は真空体としての存在である。
なぜなら、誰がなんと言おうと、我々日本人は「真空体」である天皇陛下を中心として生きてきた民族であるからである。
天皇陛下は、「真空体」だから、年越しのご祭祀で夜通しすべての国民のすべての罪障を一身に引き受け、
新しい年の日の出を願う祈りを捧げることができる。


西洋人はミニマルを発明したかもしれないが、そういうわけで
日本人は「やつし」を発明する体質にあったのだ。

(余談だが、西洋にみるミニマルは、
 人間性を否定する極限まで
 とにかく削ぎ落とすところまで削ぎ落とすような、感じがする・・・)



さて、話を戻すと、
墨絵でも、能でも、「間」がある。
産まれたその「間」という「真空」に吸込まれる様に
「表現者と観覧者が入れ替わり、観る者が表現者」になる。




  『表現者として、創造者として生き続けたい、
    そして
     お互いそう生きて欲しい、そう生きようじゃないか、という日本人の心根・・・』

西洋人は、ものを誉める時に「センスがいいね」とか、「good quality of sense」と言うが、
日本人は、「心根がいいね」と誉める。
「グッド センス オブ 心根」などと、心根に「quality」なんて言葉をつけない。


そんな
創造人日本人の奥深さを感じる事のできる「や・つ・し」という日本語。
創造に際して、考察に飽く事のないテーマである。

これだけ、素晴らしい最適化を図ってきたご先祖様の智慧に感謝しつつ。
建主とともに現代に生きる小生、
さらにもう一歩踏み込んだ「や・つ・し」を表現したい、と想々・・・



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by fuwahiroshi | 2014-10-30 20:55 | 想々  

想々:日本家屋とは・・・

日本家屋の形式は、地方それぞれ、職人それぞれ、色々とありますが、
その形式の元となる
日本家屋の概念とはいかなるものでしょうか・・・


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日本人は、古来より、
人を育んでいただきますように・・・、と大地と向き合い、
人を育んでいただきますように・・・、と素材を活かしてきた。

その育成力を一体化し、
生命力を組立てることを、
「けんちく(建築)」としてきた。

素材がもつ生命の営み、
その一粒一粒を育成力として集める仕事のことを「せっけい(設計)」としてきた。

隠された世界を一つに引き締めた組織のことを「かおく(家屋)」としてきた。

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これが、日本家屋の概念といえるでしょう。

形式は、概念から産まれてまいりますので、とても大切なことと思います。



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by fuwahiroshi | 2014-10-20 17:11 | 想々  

想々・・・:「大和民族」=「いくさ人」


「大和民族は、元来、祭祀民族であり、そして、いくさ人」と聞きます。

祭祀民族であることは、いうまでもありませんが、
さて、いくさ人とはどういうことか・・・。


日本の常識では、「いくさ」と言えば、武力戦のことを差します。
世界の常識では、
国家間における「いくさ」は、「武力戦」だけではなく
「経済戦」
「情報戦」
「文化戦」
「文明戦」
「思想戦」など
であり、「武力戦」はすべての戦争のうちの一つにすぎないといいます。


我が国は先の「武力戦」に負けた後、
毎日毎日、とにかくよく働いて、よく考えて、よく勉強して、国に税金を納めて、
     また一生懸命働いて、・・・と、繰り返し闘ってきた。
国は経済発展を遂げつつ、国家の財政破綻が起きない状態を保っている。
その意味で、世界の「経済戦」、その「いくさ」を続けていると言える。

知ってか知らずか、
グローバリストが国家の存在意義を薄くしつつある中、
昨今の我が国土の空気を吸っていると、
既に「いくさ」の舞台は、
「情報戦、文化戦、文明戦、思想戦」
であると、自覚しているように見受けられます。

その「いくさ」に勝ち残るために、
とにかく一生懸命働いて、一生懸命考えて、一生懸命勉強して、国に税金を納めて、
よく考えて、また一生懸命働いて・・・と繰り返し続けていくのです。

この性分、これが
「大和民族=いくさ人」という所以か、と想々・・・

建主も建築家も、「いくさ」のうち、
「文化戦」を担う「いくさ人」であるという自負を
持つ持たないで、「死にがい」もひとつ変わってくるのでしょう・・・

さて
「文化戦」、この「いくさ」に勝つとはどういうことでしょうか・・・



それは、
「やり続けること」
であります。



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by fuwahiroshi | 2014-10-20 17:03 | 想々  

想々・・・:「知」が先行しては、「覚悟」ができない・・・・

子供をみていると、惚れ惚れするほど
 自分に素直で、
  全身で表現し、
   全身で空気を感じています。


ある年頃から、身を「知」にもゆだねはじめる・・・
しかし、行き過ぎて「知」にゆだねすぎると、情報に右往左往しております・・・

 
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  「知」が先行しては、「覚悟」ができない・・・
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先人はよく言ったものだなあ、と思います。




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by fuwahiroshi | 2014-10-14 21:37 | 想々  

経験、経険。



  「経・験」は一昔、
  「経・険」と書いたと聞きます。

  当たり前ですが、「険しい道を経て」こそ、
  はじめて『知・情・意』が「身に付く」ということでしょう。





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by fuwahiroshi | 2014-10-13 14:03 | 想々