太陽と月と星と地球とともに...
by fuwahiroshi
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想々・・・:初釜
本日、縁あって、初釜に参加させていただきました。
皆様、お茶をたしなむ方は、物腰もやわらかで所作も美しく、惚れ惚れいたしました。
毎度のことですが、自分の「がさつ」さに凹みます。

さて、一言で
「茶道は総合芸術」
あらためて認識させていただきました。

四季の中に息づく、庭と建築と人ともの・・・。
人を含む「全てへの関心と心根」が凝縮された空間と時間でありました。

「心根」といえば、
日本人は、物を誉めるときのみならず人を誉める時も「心根がいいね」といいますから
質素であろうが、煌びやかであろうが関係ないのです。
(以前、心根については、http://fuwahirosi.exblog.jp/19819511/で考察)

また余談になりますが、
「床柱と炉」の本義は、
「床柱をご神木に見立て、人が火を囲み。そこに神をお迎えする、という祭祀の一端」
と伺ったことがございます。
茶室に感じる「清々しさ」は、この概念を形式化したところにあるとも思いました。

本日は、誠に勉強になりました。
ありがとうございました。

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by fuwahiroshi | 2015-01-25 18:50 | フィールドワーク
想々・・・:伝統木構造という仕事とは
決して懐古主義ではない。
むしろ逆である。

果たして
現在まで、累積、何億人の大工が産まれ「技」を競って、死んでいったことであろうか・・・・

現在、我々が「伝統木構造」と呼ぶ代物は、
大工達が、過去の数々の地震、台風などの「天災」と「気候」を経て残った建物に学び、参考にし、改良し続けてきた結果である。

この瞬間、木造建築に携わるということは、
その何億人もの大工達を背中に背負って、現代を切り開く「最先端に立つ」ことと同義であるはず・・・

ましてや、彼らが眠る国土、大地の上に建てるのである。


今、この視点、この立場を感覚することが大切、と想々・・・


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by fuwahiroshi | 2015-01-23 22:50 | 想々
落成祭の本義について・・・

家屋建立に際しての、祭祀事である「地鎮祭・上棟祭・立柱祭」については、
当ブログでも、書かせていただきました。

想々:地鎮祭について
http://fuwahirosi.exblog.jp/11709792/
想々:祭祀・・・
http://fuwahirosi.exblog.jp/12979880/
土の話
http://fuwahirosi.exblog.jp/13404673/
想々:ダイコク柱=大極柱
http://fuwahirosi.exblog.jp/19727564/
想々:や・す・く・に・・・
http://fuwahirosi.exblog.jp/18130821/
想々:靖国神社について
http://fuwahirosi.exblog.jp/19243661/


今回は、家屋が完成したときに執り行ないます「落成祭」についてです。

「家が完成して、おめでとう!」ということで良いのだと思いますが、
この祭祀の本義を知った上でのほうが、おめでたさが増しますので、ここに記します。


家屋建立の際、
様々な材料が使われている中には、何処で採れたか分からぬものが沢山あります。
中には、死穢に染まった材料もありましょう。
中には、伐られてくなかった木材もありましょう。
その他その他、様々な想念を含んだ資材が組立てられ組上げられて、家屋新築でございます。

一切の資材を生き更へらせること、これが落成祭の本義でございます。
一軒の家屋という「生きもの」にして一切の資材を甦らせて参ります。
そのとき、一つ一つの材料が自分勝手な存在を主張していたら、家になりません。

あれもこれも彼も私もという様に組立てられた家屋を一瞬 
「祭祀という虚空」に置く、
そして同時に新生させる。

家屋新生に当たってどれ程の者達がその身を其処に呈供している事か、
お屋根のてっぺんから縁の下に至るまで全部 
吾が身を捨ててお役に立ってくださっているのです。

家屋新生とともに、『家族新生』なのであります。

銭金があるからというだけで、良い家屋が造られるものではありません。
こういった祭祀を通して、心を合わせ、お許しが得られてこそであります。


以上、落成祭の本義について、誠に簡単ではありますが、小生が知る所を記させていただきました。
このような事を知ることができましたことを心より感謝しております。



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by fuwahiroshi | 2014-11-08 18:50 | 想々
再考察:「や・つ・し」
建築とは、前向きな行為ですので、ついつい精神論じみてしまいますが、ご勘弁を。

以前、当ブログでも触れましたが、
あらためて
日本語の「や・つ・し」「や・つ・す」に触れます。

◎想々:「や・つ・し」
http://fuwahirosi.exblog.jp/14882103/


これに、少し加えたり引いたりして、考察しなおしたい。



「やつし」という日本語は、なかなか耳慣れないかもしれない。
「やつす」ともいう。

尊敬する友達が教えてくれた言葉だ。


辞書を引くと、色々出てくるが、

「やつし」とは、
  「豊かで美しいものや氣高い精神が、あえて簡素に貧しく姿をかえること」
  「高貴なものが、あえて質素な形をとること」
のようだ・・・

例えば、
○演劇技法・・・「水戸黄門」「遠山の金さん」など、
        いわば高貴なものが、あえて世俗の世界に身を置く。
        このことを「身をやつす」と言い,
        このギャップが痛快なドラマとなっている・・・

○枯山水・・・大宇宙を数個の石や砂を用いて庭に縮図化した「やつし」の姿。

○生け花・・・僅かな花を僅かな空間に存在させた「やつし」の姿

○盆栽・・・風格ある樹を縮小化した「やつし」の姿

○侘び茶・・・あえて草庵の貧しい風情、これを厳しい目で創り上げた「やつし」の姿

などなど・・・

つまり
「やつし」は、「日本人の美意識」である・・・


さて、
では、なぜ、日本人の美意識を「や・つ・し」と発音するのか?
   なぜ、「や・つ・し」という「音」が「敢えて簡素に質素に見せること、縮図化すること」を指すのか?
   
  
実は、
やまとことば、
つまり50音それぞれの響きがもともと持つ意味に照らし合わせて解くとみえてくる。


まず一音ずつ、その音の響きのもつ意味を解いていく。

●や・・・強い神力 止まる力
●つ・・・星 細胞 起点 
●し・・・凝縮

●や・・・強い神力 止まる力
●つ・・・星 細胞 起点 
●す・・・絶対神力 中を真空にする

ということになります。


まとめると
「やつし」という音の響きの中には

  「目に見えない強い力を、細胞一つ一つにまで、そしてその起点に近づけるところまで 凝縮すること、絶対的なものにすること、真空にする事ですべてを惹き付ける」

という響きが入っていることがわかる。

その「凝縮」する「術」「仕事」には「厳しさ」があり、その厳しさの中に美しさを見出すということも容易に想像できる。


さて、次に、
なぜ、「や・つ・し」が日本人の美意識の中枢にあるのか?
それには、「真空」の解釈に以下を付け加えて考えたい。

●科学者が実験等をする
 ----真空管作成
  ------真空ポンプ作動
    -----真空度が次第に変化する
     ------変わる「真空度」によって創り出される物(世界)が様々に変わる・・・



インド人はゼロを発明したと言うのであれば、日本人は「真空」を発明したと言いたい。
発明したというより、元来、日本人は真空体としての存在である。
なぜなら、誰がなんと言おうと、我々日本人は「真空体」である天皇陛下を中心として生きてきた民族であるからである。
天皇陛下は、「真空体」だから、年越しのご祭祀で夜通しすべての国民のすべての罪障を一身に引き受け、
新しい年の日の出を願う祈りを捧げることができる。


西洋人はミニマルを発明したかもしれないが、そういうわけで
日本人は「やつし」を発明する体質にあったのだ。

(余談だが、西洋にみるミニマルは、
 人間性を否定する極限まで
 とにかく削ぎ落とすところまで削ぎ落とすような、感じがする・・・)



さて、話を戻すと、
墨絵でも、能でも、「間」がある。
産まれたその「間」という「真空」に吸込まれる様に
「表現者と観覧者が入れ替わり、観る者が表現者」になる。




  『表現者として、創造者として生き続けたい、
    そして
     お互いそう生きて欲しい、そう生きようじゃないか、という日本人の心根・・・』

西洋人は、ものを誉める時に「センスがいいね」とか、「good quality of sense」と言うが、
日本人は、「心根がいいね」と誉める。
「グッド センス オブ 心根」などと、心根に「quality」なんて言葉をつけない。


そんな
創造人日本人の奥深さを感じる事のできる「や・つ・し」という日本語。
創造に際して、考察に飽く事のないテーマである。

これだけ、素晴らしい最適化を図ってきたご先祖様の智慧に感謝しつつ。
建主とともに現代に生きる小生、
さらにもう一歩踏み込んだ「や・つ・し」を表現したい、と想々・・・



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by fuwahiroshi | 2014-10-30 20:55 | 想々
想々:日本家屋とは・・・
日本家屋の形式は、地方それぞれ、職人それぞれ、色々とありますが、
その形式の元となる
日本家屋の概念とはいかなるものでしょうか・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本人は、古来より、
人を育んでいただきますように・・・、と大地と向き合い、
人を育んでいただきますように・・・、と素材を活かしてきた。

その育成力を一体化し、
生命力を組立てることを、
「けんちく(建築)」としてきた。

素材がもつ生命の営み、
その一粒一粒を育成力として集める仕事のことを「せっけい(設計)」としてきた。

隠された世界を一つに引き締めた組織のことを「かおく(家屋)」としてきた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これが、日本家屋の概念といえるでしょう。

形式は、概念から産まれてまいりますので、とても大切なことと思います。



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by fuwahiroshi | 2014-10-20 17:11 | 想々
想々・・・:「大和民族」=「いくさ人」

「大和民族は、元来、祭祀民族であり、そして、いくさ人」と聞きます。

祭祀民族であることは、いうまでもありませんが、
さて、いくさ人とはどういうことか・・・。


日本の常識では、「いくさ」と言えば、武力戦のことを差します。
世界の常識では、
国家間における「いくさ」は、「武力戦」だけではなく
「経済戦」
「情報戦」
「文化戦」
「文明戦」
「思想戦」など
であり、「武力戦」はすべての戦争のうちの一つにすぎないといいます。


我が国は先の「武力戦」に負けた後、
毎日毎日、とにかくよく働いて、よく考えて、よく勉強して、国に税金を納めて、
     また一生懸命働いて、・・・と、繰り返し闘ってきた。
国は経済発展を遂げつつ、国家の財政破綻が起きない状態を保っている。
その意味で、世界の「経済戦」、その「いくさ」を続けていると言える。

知ってか知らずか、
グローバリストが国家の存在意義を薄くしつつある中、
昨今の我が国土の空気を吸っていると、
既に「いくさ」の舞台は、
「情報戦、文化戦、文明戦、思想戦」
であると、自覚しているように見受けられます。

その「いくさ」に勝ち残るために、
とにかく一生懸命働いて、一生懸命考えて、一生懸命勉強して、国に税金を納めて、
よく考えて、また一生懸命働いて・・・と繰り返し続けていくのです。

この性分、これが
「大和民族=いくさ人」という所以か、と想々・・・

建主も建築家も、「いくさ」のうち、
「文化戦」を担う「いくさ人」であるという自負を
持つ持たないで、「死にがい」もひとつ変わってくるのでしょう・・・

さて
「文化戦」、この「いくさ」に勝つとはどういうことでしょうか・・・



それは、
「やり続けること」
であります。



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by fuwahiroshi | 2014-10-20 17:03 | 想々
見学会:産業廃棄物の中間処理場
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昨年の夏頃のことになりますが、
「クワバラ・パンプキン」という
建築の解体工事から生じる「産業廃棄物の中間処理場」の見学会に行かせてもらったことがありまして、いまだに心に留まっていますので、ご紹介させていただきます。



◎石膏ボード
現在の一般建築に欠かせなくない「石膏ボード」
1)クロスが施工させたものは、
  人の手によってクロスを剥がして、石膏ボードは再利用に回せる。
2)左官材が施工されたものは、石膏ボードから剥がせないため、
  埋め立て処理となる。

,左官材は、土に還っていないことがわかる・・・・
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◎分別
畳、レンガ、陶管、ブロック、鉄管、板金、紙類、ガラ袋、クロスなどなど
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◎塩ビ管
排水に用いる塩ビ管も、菅の中をきれいに洗って、
再利用するのだそうだ
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◎コンクリート
コンクリートガラは、細かく粉砕され、再利用に廻す。
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◎木材
燃料として、チップ加工されていた。電力会社が買って行く。
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◎汚泥
竹小舞を組んで、壁に塗られた「土」。
本来ならば、土に還すことができる素材・・・。
ところが、中間処理場において、今の法律では、
「汚泥扱い」となり、埋め立て処理となっている。
ただし、自身の敷地内において土に還すことは、合法。
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◎混載されたゴミ
現場において、十分に分別されないで、トラックに混載された廃棄物は、
ここで、人の手によって丁寧に分別されていた。

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全般をとおして、非常に丁寧に仕事をされていて、感激しました。
                              見学後、レクチャーも受けました。
最終処分場の受け入れ場所がないことが、問題になっているとの話を聞きました。
そして、埋め立て後の管理に関しての問題があるように見受けられました。



一見百聞以上。
建築設計をするに当たって、思うこと・・・。

建築廃材処理による土壌汚染・空気汚染を考えると、
あらゆる素材が土に還って、分解されたり、無害であることが
建築の構法においては、重要な根本原則である。


建物は
物差しで測って造りますが、
その価値は
志しで測るものであります。

建築家と建主と造り手の
簡素な形での美意識の結束が、さらに高い価値を産むということでしょう。

価値が下がる「もの」に溢れた時代ですが、
以上は、価値が上がる「もの」をこしらえる前提条件と想々・・・。










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by fuwahiroshi | 2014-10-20 17:01 | フィールドワーク
想々・・・:「知」が先行しては、「覚悟」ができない・・・・
子供をみていると、惚れ惚れするほど
 自分に素直で、
  全身で表現し、
   全身で空気を感じています。


ある年頃から、身を「知」にもゆだねはじめる・・・
しかし、行き過ぎて「知」にゆだねすぎると、情報に右往左往しております・・・

 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  「知」が先行しては、「覚悟」ができない・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  


先人はよく言ったものだなあ、と思います。




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by fuwahiroshi | 2014-10-14 21:37 | 想々
経験、経険。


  「経・験」は一昔、
  「経・険」と書いたと聞きます。

  当たり前ですが、「険しい道を経て」こそ、
  はじめて『知・情・意』が「身に付く」ということでしょう。





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by fuwahiroshi | 2014-10-13 14:03 | 想々
建築は、前向きな話なので・・・

話には、「後ろ向きの話」と「前向きの話」があります。


建主は、いつも「前向き」であります。
だから
建築とは、「前向きの話」であります。
そうすると心のどこかで「精神論なんて、そんな・・・」と思いつつも、
話が少々「精神論」じみてきます。

建築の
法律論、構造論、設備論、施工論、材料論、環境論、デザイン論、ディティール論を論ずるにも、
その基盤にある精神の優劣を論じたくなるのです。

建築を通しての「人間の考えることの探求」となります。

だから、
世の中の建主も建築家も、悶々と「想々・・・」となっております。

僭越ではありますが、
小生も、当ブログで「想々・・・」を続けて参らせていただけますと幸いです。
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by fuwahiroshi | 2014-07-05 20:06 | 想々